【お題:『保護色』『キャンディ』『無差別』】
【時間:41分】
◆◆◆
できるだけ目立たないように生きていきたい。
それが僕のたったひとつの願いだ。
帰りのホームルームを終えて、騒がしくなった教室の片隅。
今日も僕は息を殺すように、一日を過ごした。
SNSで誰でも呟けるようになったこのご時世、人の目を引くような行動を取れば命取りになる。
すぐに知らない誰かに勝手に動画をアップロードされて、一生消えることのないデジタルタトゥーを負うことになってしまう。そんなのは絶対に嫌だ。
派手さはなくていい。ただただ目立たず平穏に過ごしたい。それが僕の願いだった。
それを家族に話したら「若いのにそんな寂しいこと言って」と苦い顔された。
誰になんと言われようと、僕は平穏に安全に過ごしたい。この意思は変わらない。
僕は今日も、ヒラメのように、体色を周りの環境から浮かない保護色にして、ひっそりと海底を泳ぐのだ。
教科書を鞄に詰めていると、目の前でギャハハと下品な笑い声が聞こえた。思わず、両耳を覆いたくなる。どうして女っていうのは、こう、うるさい甲高い声をしているんだろうか。
鞄越しに、校則違反の短いスカートを履いた足が何本か見える。そこにるのは、クラスの中でもカースト上位のギャル集団だ。僕の前の席に、そのギャル集団のボス的存在の女、市澤が座っている。
静かに過ごしたい僕にとって、この席は苦痛でしかなかった。休み時間になると、市澤のもとにわらわらと集まってきて、騒ぎ始めるのだ。本当に勘弁して欲しい。
「飴ちゃんいる人ー!」
クラス中に聞こえるくらいの大声で市澤は言った。すると、入口付近に立っていたチャラ男たちも「欲しい!」と言いながら集まってきた。
「俺にもちょーだいよ、イチザワ」
そういってやってきた男の足が、僕の机にぶつかった。
「いって」
彼は大げさにそういった。
僕はヒヤリとした。何か文句をつけられるのではないか。
しかし彼は「あ、わりぃ」と一言言っただけだった。
その男は、市澤が持っていたキャンディの袋に無理やり手を突っ込んで「飴ちゃんいただきまーす!」と叫んだ。
「ちょっと、隼人!勝手に取んなし!」
市澤は大声を上げたが、その顔は特に怒ってなさそうに見えた。
僕は思わず溜息をついた。早いとこ、ここからずらかろう。
机の脇にぶら下げてあった弁当袋を鞄に突っ込み、僕は立ち上がった。
僕が立ち上がるのと同時に、目の前の集団の誰かが「これからカラオケ行こうぜ」と言い出した。
「いいねぇ」
「えーどうしよっかなぁ、うち歌苦手だしなぁ」
「わたし、行くー」
僕は、椅子にかかっていたカーディガンを羽織り、鞄を肩にかけると、椅子を机に戻して集団に背を向けた。
その時。
「あ、平井も行く?」
背後で名前を呼ばれて、心臓がバクンと音を立てる。
思わず振り返った。
すると、集団の中心に座っていた市澤が僕を見ていた。それにつられるように周りの人間も僕に視線を向ける。
「え?」
僕が聞き返すと市澤が言った。
「カラオケ、これから行くんだけど、平井もどう?」
「あ、いや、用があるからパス」
バクバクと緊張で心臓がうるさかったが、僕は何とか、自然に、軽い口調で断った。こういう時、重々しく断るとかえって悪い印象を与える。こういう時は、できる限り軽く断る。
「そっか残念、じゃあまた今度ね」
市澤は大して残念がってなさそうな顔でそう言った。
こんな気軽に、大して仲良くもない奴に無差別に声をかけて遊びに誘える神経が、僕には理解できない。
「うん、また今度」
僕はそう言って集団に背を向けた。
「あ、ちょっと待って」
再び声をかけられて振り返る。
その瞬間、顔に何かが飛んできた。鼻にぶつかる寸前のところでそれをキャッチする。
見ると、カラフルな包み紙のキャンディだった。
「それあげる、またねー」
市澤はひらひらと手を振ると、再び取り巻きの奴らと話し始めた。まわりの奴らももう僕のことは気にしていないようだった。
僕は騒がしい教室をあとにしたのだった。
校舎を出ると、校庭の方から運動部の声が聞こえてきた。
カキィンと金属バットに玉が当たった音。ピーっというホイッスルの音。放課後は何かと騒がしい。
校門へと続くイチョウ並木を、生徒たちの群れに紛れるようにして、僕は歩いた。
途中、市澤から貰ったキャンディが手に握ったままだったことに気づく。
「……」
しばらく見つめていたが、僕は包み紙を開いた。肌色に近い色のミルクキャンディだった。それを口に入れる。じんわりと口内に広がる甘ったるい味。
「……あまっ」
僕は思わずひとりごとを呟いた。
何故かわからないけれど、僕は急に寂しくなった。足元に落ちたイチョウの葉を見つめながら、僕は「こんな気分になるのはきっと秋だからだ」と自分に言い聞かせたのだった。

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