【お題:『ガラスのハート』『心のときめき』『捻じ込んだ』】
【時間:ー】
◆◆◆
昔から僕はオロオロしているせいかイジメの対象にされやすかった。
友達の些細な冗談も真に受けてしまい、必要以上に傷ついたり落ち込んだりすることが多かった。
「コウはガラスのハート過ぎるよな、もっと図太く生きろよ」と幼なじみのリョウヘイによく言われる。
図太く生きようとはしているのだけど、どうやらこのネガティブ思考は遺伝子レベルで刻み込まれた生まもった性格なので、どうにもならないらしい。
こういう性格をしているせいか、変質者に目をつけられることが多々ある。
……最悪だ、まただ。
帰宅ラッシュの満員電車で、僕は痴漢にあっていた。
どうして男なのに痴漢にあうんだ?と不思議に思うだろう。……僕もずっとそう思っている。男の僕の尻をまさぐって、一体何の得があるんだろう。痴漢の気持ちはまったく理解できないし、気持ち悪いし、そして何よりも、怖い。
言葉にできない恐怖で身体が石になったように固まってしまう。『やめてください』と言えばいいのに、その一言が出てこないのだ。それどころか、唇をギュッと噛んで、男が去るのを待つことしかできない。
首元に男の荒い息が吹きかかって気持ち悪い。ぞわりと背筋が粟立つ。
次の駅で降りよう、次の駅で降りよう。
さっきからずっとそう思っているのに身体動かない。僕の身体は男のいいようにされてしまっている。僕が抵抗しないのをいいことに、痴漢はその手を僕の股間に伸ばしてきた。
「……っ」
あろうことか、男は制服のズボンのチャックを開けて、そのまま中へ手を突っ込んできた。
もうやめて!
そう叫びたいのに声にならない。
誰か、誰か助けて、誰か。
「何やってるんですか!」
僕の横に立っていたスーツの男性が声をあげた。乗客が一斉にこちらを向く。その男性は僕の後ろの痴漢男の腕を掴んだ。
「次、降りますよ、警察に行きましょう」
「な、なにすんだよ、俺は知らねぇよ!」
タイミングよく駅につき、ドアが開いた。
痴漢はチッと舌打ちすると、男性の手を振り払うと、乗客に体当たりして我先にドアへ向かい、ホームに降りると走り出した。
「待て!」
男性がそう叫んだが、人が多すぎて男を見失ってしまった。僕はホームへ出ようとする人混みに押し流されるがまま、呆然として彼らのやりとりを部外者のように見つめていた。
しばらく男の行方を視線で追っていた男性だったが、追いつくのは無理だと悟ったらしい。ふと僕の方へやって来た。まわりに聞こえないように耳元で囁いた。
「大丈夫かい?一回ホームへ降りよう……チャックは今のうちに閉めたほうがいいよ」
その言葉に僕はハッとして、下を向いた。チャックからシャツだけでなく、アレも少し出てしまっていた。僕は慌てそれを捻じ込んでチャックを閉めた。
ホームに降りると男性は「取り逃がしてしまった、力になれずすまない」と言った。
彼が謝ることなんてひとつもない。むしろ感謝している。
だけど僕は動転していて、言葉が出てこず、「あっ」とか「うっ」とかしか言えなかった。
「少し、そこのベンチで休もうか」
男性に促されるがまま、僕はホームのベンチに座った。
すると、男性は近くの自販機でミネラルウォーターを買ってきてくれた。
「飲める?」
僕はありがとうもいうことができず、コクコクと頷くとミネラルウォーターを一気飲みした。冷たい水が喉を通る感覚に、少し落ち着きを取り戻した僕は、男性の方を見た。
スーツを着ている。ファッションに詳しくない高校生の僕が見ても、一目で高級だとわかるようなスーツ。余裕があって落ち着いた大人の男性って感じだ。僕の今までの人生の中で一度も出会ってこなかったタイプの大人だった。
「あ、ありがとうございます」
僕はやっとお礼をいうことができた。
「大丈夫?」
「はい、なんとか」
僕が頷くと男性は僕の隣に座って行った。
「少し落ち着いたら警察に被害届だしにいこうか」
僕はしばらく悩んでから
「いえ、それはいいです、あの……以前も同じようなことがあって、その、警察に行ったんですが、なんというか、駄目だったので、もう行きたくないんです」
そう、まともに取り合って貰えなかったのだ。
被害を訴えた僕が悪いんじゃないか。そう感じてしまうほど、ひどい扱いだった。
「そうか……君がそういうなら無理とは言わない」
男性はそう言うと、膝の上で指を組んで、少し俯いた。
「君のような子こそ救いたいのに……どうにもできず悔しい」
まるで自分のことのように悔しがってくれるその男性の横顔をじっとみつめた。
鼻が高くて綺麗な横顔だった。
しばらくすると、男性はこちらに視線を向けた。そして、少し困ったような顔をした。
「これは完全に、私のエゴなのだけれど……」
彼はそう言いながら、鞄から名刺ケースを取り出し、そのうちの一枚を僕の前に差し出した。
僕はそれを両手で受け取って、それを見た。
XXXX法律事務所
佐々木トシフミ
「もしまた困ったことがあったら、いつでもおいで」
男性の少し照れくさそうな声が頭上から聞こえる。誰からから名刺を渡されるなんて経験は初めてだったのでどうしていいのかわからず、そのまま名刺をじっと見つめていた。
しばらくして顔を上げると、佐々木さんと目があった。すると、佐々木さんはふっと柔らかい笑みを浮かべた。
佐々木さんの表情を見た途端、心の奥がキュッとなった。苦しさや悲しさを感じた時もキュッとなるけど、今回は初めて感じたキュッだった。
僕はやっとのことで「ありがとうございます」と言った。
僕を見た佐々木さんはまた優しく笑った。そして僕の顔を覗き込むようにして言った。
「ところで、帰りはひとりで大丈夫?」
……大丈夫じゃない、と言ったら送ってくれるのだろうか?もう少し一緒にいたい。
一瞬そんな考えが頭を過ったけど、これ以上迷惑かけるのはよくない。
「大丈夫です、最寄りはXXX駅なので、ここから2駅くらいだし……今日は歩いて帰ります」
「XX駅か、それなら通り道だから一緒にタクシーで帰りましょう」
「え?」
佐々木さんの提案に僕は驚いた。
あと少し佐々木さんと一緒にいられる。そう思うと嬉しかった。
「ああ、大丈夫、代金は私がもつから心配しなくていいよ」
「え、でも、いいんですか?」
「もちろんだよ、さぁ、いこうか」
「は、はい」
僕は佐々木さんのあとに続いた。皺ひとつ無い高級そうなスーツの頼もしい背中を、僕はじっと見つめたのだった。

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