【お題:『通信』『留守』『羊』】
【時間:ー】
◆◆◆
視界に広がるのは、牧草地の緑色、空の青色。羊たちの群れの白色。
私の日常は、この三色でできている。
生まれてからずっと、この景色を見て育ってきた。だからこれといって、特別に意識することはなかったのだけれど、幼馴染が帝都の学校へ進学したことをきっかけに、外の世界のことを知るようになっていった。
幼馴染のシェルの話によると、どうやら、帝都はカラフルらしい。街中、たくさんの色で溢れていて、最初は目がチカチカした、慣れるのに時間がかかった、とのこと。そして最後に彼は、色が少ない故郷の景色が恋しい、と言っていた。恋しいなんて、そんなことを言えるのは、外の世界を知っているからだ。外の世界を知らなかったら、きっと何の疑問も感じることなく、この3色の世界で一生を終えただろう。
未だ目にしたことがない、カラフルな街を想像してみる。
「私も見てみたいな」
そう呟いたあとですぐ、現実に引き戻された。
「まぁ、無理か」
溜息をつくと、近くにいた羊が私を慰めるかのようにメェーと鳴いた。
「ありがと」
毛刈り前のふわふわな毛並みを撫ぜる。
この子たちは、あと一週間もすれば、毛を刈り取られ、貧相な姿になってしまう。刈り取った毛は、隣の工場へ引き渡され、毛糸などに加工されると、帝都へ出荷される。
「帝都か」
私は帝都がある方向に顔を向けた。そこには大きな山がある。まだ山頂には白い雪が残っていた。あの山を越え、さらに湖を越えた先に帝都がある。とてもじゃないが、私たちのような羊飼いは帝都に行くお金も時間もない。きっと、一生私は帝都に行くことはないだろう。そう思っている。
「そろそろお昼だし、戻るか」
私は遠くに見える家を目指して歩きだした。羊の何匹かも一緒に私のあとについてきた。
シェルの父親はもともと帝都の大学に勤務していた有名な民俗学者だ。父親の研究のために、はるばる家族そろって帝都からこの村にやってきたのだ。しかし、息子のシェルが13歳になったタイミングで父親の研究に区切りがついたので、一家はまた帝都へ帰って行った。
シェルと私が知り合ったきっかけは、父親がフィールドワークで私たちの牧草地へやってきたことがきっかけだった。その際、一緒についてきたのが息子のシェルだった。
シェルとは何故か不思議と気があって、その日からずっと仲良くしていた。でも、ふとした瞬間に、彼が帝都の人なんだなと感じることがあって、私はその度に少し寂しい気持ちになった。きっと彼とはお別れする日がくる。そういう予感はしていた。まさかこんなに早く彼とお別れすることになるとは思ってもいなかった。悲しくて、寂しくて、その話を聞いた時、私は子供みたいに泣いた。できるならずっと一緒にいたかった。
大泣きする私を見て彼は私を可哀想と思ったのか、シェルは、私に不思議な機械をくれた。その機械は、無線通信機、というらしい。これを使うと遠く離れていても会話ができる、不思議な機械だ。
シェルとは、3日おきくらいのペースで、この無線通信機を使って連絡をとっている。
「ただいま」
家のドアを開けると、キッチンに立っていた母親が「おかえり」と微笑んだ。スンスンと部屋の匂いを嗅ぐ。あまいミルクの香り。どうやら今日はミルクスープらしい。
鍋をゆっくりと混ぜながら母は思い出したように行った。
「あぁそういえば、あの機械、赤く光ってたわよ?シェルくんから連絡じゃない?」
「え、ほんと?」
私は急いで棚の上にある無線機を取った。たしかに、丸いランプが赤く点滅している。私は、もうすっかり覚えてしまった、7ケタの番号を押した。そして耳に当てる。しばらくザーザーという音が聞こえていたが、プツッという音のあとに「エミリー久しぶり」と彼の声が聞こえてきた。
「久しぶり、シェル、元気にしてた?」
「うん、元気だよ、エミリーは?羊たちも元気?」
彼の声には不思議な力がある。彼の声を聞くと、ほっとするというか、優しい気持ちになれるのだ。
「ええ、元気よ、私も羊も。あ、そうそう来週毛刈りするの」
「そうか、そんな季節か、懐かしいなぁ毛刈り。僕は逃げられてばっかりで全然うまくできなかったけど」
彼は無線機越しで、クスクスと笑った。
「シェルは優しすぎるのよ、ああいう時は心を鬼にしてやらないと」
「エミリーはとっても上手だったよね」
「小さい頃からずっとやってるからね」
一瞬の間があいて、彼が言った。
「戻りたいな、そっちに」
彼の声のトーンが下がった気がした。
「え?何かあったの?……学校、うまくいってないの?」
私がそう聞くと、彼は「違う違う、学校でつらい目にあったとかそういうんじゃなくて……」そこまで言うと彼は口ごもった。
その時。
「あ、ちょっと、なにすんだ」
彼が突然声を荒げた。
「えっ」
突然のことに私が動揺していると、無線機から知らない男の子の声が聞こえてきた。
「あ、エミリーちゃん?」
「は、はい、そうです……あの、貴方は?」
「俺、シェルと友達のロブ、君のことはシェルから話に聞いててね、一回話してみたかったんだ」
「そ、そうだったんですね」
シェルは、友人に私のことを何と話していたのだろう?
そう思っていると、ロブがクックッと可笑しそうに笑った。
「シェル、ほぼ毎日君の話をしててね、それはもうしつこいくらいに」
シェルがそんなに私のことを考えてくれているなんて。私は嬉しかった。
「学校卒業したら、必ず迎えに行って、メアリーを嫁に、っておい」
「え?」
……今、彼はなんと?
「ごめん、メアリー、いきなりビックリしたよね」
いつの間にか、声の主がシェルに代わっていた。
「ううん、大丈夫」
シェルは少し間をおいてから言った。
「あの……さっきロブが言ったこと、忘れて」
「さっき言ったことって?」
「えっ!いやその……」
ゴニョニョと聞き取れない小さな声でシェルは呟いていた。
「ごめんなさい、シェル、よく聞こえない」
「えっと……その、なんというか」
途切れ途切れに彼は言葉を紡いだ。
「勇気がでたら、いずれ、話す、必ず。だから、その、これからもこうして、連絡してもいい?」
彼の言葉に私は笑顔になった。
「もちろんよ」
「ありがとう、メアリー……じゃあ、また3日後くらいに」
「ええ、また」
「またね」
プツンという音とともに無線機からは何も聞こえなくなった。
『学校卒業したら、必ず迎えに行って、メアリーを嫁に』聞き間違いじゃなければそう聞こえた。私は顔が熱くなるのを感じた。シェルがそんなことを考えてくれていたなんて。嬉しくて飛び上がってしまいそうだった。
「メアリー、食事よー」
「はーい」
母に呼ばれて、私は慌てて無線機を棚の上に置いて、テーブルに向かった。
席に着いた私を見て、母は二コリと笑うと
「何かいいことあった?」
と聞いた。
私は何故か自分だけの秘密にしておきたくて、
「ううん、なんでもない」
と答えた。
その日食べたミルクスープは、いつもよりも甘く感じた。

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