約束の桜

【お題:「夜桜の下で」「冷めたコーヒーをすすりながら」「約束をした」】
【時間:129分】

◆◆◆

車検を来月に控えた中古軽自動車から降りた俺は、足下を見た。駐車場の砂利に桜の花びらが混じっていた。
俺はゆっくりと顔を上げた。

今年も桜は満開である。
この第三駐車場には1本の大きな桜の木が立っている。どうやら樹齢は150年を超える桜らしい。このXXX株式会社第一研究所を建築する際に伐採することも案に上がったが、この地域ではこの桜にまつわる伝説や民謡が残されているほど有名な桜のようで、地域住民から批判が殺到したらしく、伐採せずに残すことになったらしい。その桜の前には、その民謡と歴史を説明している看板が立っていて、その横には3人掛けのベンチが置かれていた。この駐車場は社員以外も立ち入ることができるので、この季節になると、しばしば桜目当ての住民や観光客がちらほらと訪れる。ここの社員で、毎日駐車場を利用しているにも関わらず、俺はこの桜にどんな言い伝えがあるのかよくわかっていない。歴史など、古いものを尊ぶような懐古主義、俺はそういうのが昔から好きではないのだ。時代は常に新しくなっていくのだ。古いものに囚われていては、目まぐるしく変化していく昨今の技術化社会に乗り遅れてしまう。
「ちょっと待ちなさい」
後ろから女性の声が聞こえた。すると、キャッキャッと楽しそうに笑う女児が、桜の木を目指して走ってくるのが見えた。桜を見に来た地域住民だ。
腕時計を見た。就業開始20分前。この駐車場から歩けば、10分前には自分のデスクにつくことができるだろう。
ベンチに腰掛けて母親を呼ぶ子供を横目に、鍵を閉めた俺は駐車場をあとにしたのだった。

「考え直すつもりはないのか?」
しんと静まりかえるフロアに部長の声が響いていた。フロアにいる者は皆、黙々と手を動かしているように見えるが、そのほとんどが、部長とその机の前に立つ柳澤の動向に聞き耳をたているのがわかった。
「申し訳ありませんが、もう自分の中では決めたことですので」
柳澤ははっきりとした口調でそう言った。
「もちろん、自分が作成していた設計書の引き継ぎはしっかりと行った上で退職します、のこり1ヶ月ですが、最後まで精一杯頑張らせて頂きます」
柳澤の顔を見て、彼の意志は変えられないことを悟った部長は「わかった」と頷いた。
「それでは失礼します」
柳澤は深く礼をすると、フロア中の視線を浴びているにも関わらず、動じない様子で、俺の隣のデスクに戻って来た。
椅子に座った柳澤は少しほっとした様子で小さく息を吐いた。そして俺の視線に気づいたのかこちらに顔を向けた。
「ごめんな、星野、そういうわけだから、この設計書、星野が引き継いで貰えると助かる」
「……わかった」
俺は余計なことを聞かず頷いた。
柳澤がこういう決断をするだろうということは、何となく予想していたからだ。
しかし、俺に相談も無しに決断に踏み切るなんて。その事実に少しだけ傷ついていることに気づき、俺の中で柳澤の存在が大きくなっていたことに驚いたのだった。

その日は、ノー残業デイということもあり、定時を過ぎたフロアは、俺たち以外残っている者いないようだった。
「……もう定時を1時間過ぎてるし、残りはまた明日にしよう」
「そうだな」
柳澤の提案に俺は素直に頷いた。
互いに帰り支度をし、エレベーターに乗り込んだ。
無言。
エレベーターから聞こえる微かな機械音だけが耳に届いた。俺は表示板の数字が、7、6、5、4と動いているのを何となく見つめていた。隣に立っていた柳澤が言った。
「なぁ、少し時間をくれないか?」

俺たちは駐車場脇に立つ自動販売機で缶コーヒーを買って、桜の下のベンチに腰掛けた。この駐車場はかなりの面積があるにも関わらず、外灯の数が少ない。ベンチから5メートルほど離れたところに立っている立っている外灯は、バチバチと音を立ててついたり消えたりを繰り返している。研究所の窓から漏れ出る光で、かろうじて隣の柳澤の顔が認識できるくらいの薄暗さだ。
隣で、カコッとプルタブが開けられる音が聞こえた。視線を向けると、柳澤がコーヒーを飲みながら、ボンヤリと遠くを見つめていた。俺も柳澤に続いてプルタブを開ける。カコッ。
口にしたコーヒーは、微糖と書いてあるのにしっかり甘かった。
「星野、ごめんな」
隣の柳澤が呟くように言った。俺は人気のない駐車場を見つめたまま言った。
「気にするなよ、お前の人生だろ」
「ありがとう、星野」
柳澤がふっと隣で笑うのがわかった。しばらく沈黙が流れたが、柳澤はふぅと短く息を吐いて、再び話しはじめた。
「オヤジがさ、死ぬ間際に言ったんだ……今になって後悔してるって」
柳澤の父親は、2週間前、咽頭ガンで亡くなっている。柳澤の母親とは、どうやら婚姻関係を結んでいなった。その母親は柳澤が幼い頃に亡くなっているらしく、柳澤は父親によって育てられた。幼い頃から苦労が多かったと聞いている。まるで子育てには向いていない父親で、自身が経営している有限会社の仕事を生きがいにしているような人だったらしい。仕事ばかりで、家のことは、柳澤とその姉が2人で回していたらしい。そのせいで、中学、高校と、柳澤は学生らしい青春時代は過ごせなかったと聞いている。それでも父親を憎んだりせずに済んだのは姉の存在が大きいと言っていた。その姉は、結婚を機に実家を出て九州に引っ越したこともあり、父親の看病はすべて柳澤が行っていた。多忙な研究職を続けながら、父親の看病を両立するのは、さぞかし大変だったろう。だけど、柳澤は弱音を吐いたりしなかった。柳澤のことが心配になった俺がそのことに関して訪ねると「僕も父親に似て、素直に弱音を吐けないタイプなんだ、だけど大丈夫、星野が心配するほど大変じゃないよ、子供のときから忙しいのは慣れてるから」と言って、少し困ったような笑みを浮かべたのだった。

「オヤジのことだから、後悔したことなんて、どうせ自分の会社を倒産させちゃったことだろうと思っていたけど、違った」
ぐびっとコーヒーを一口飲んだ柳澤は言った。
「母さんに会いに行く約束を破ったことを後悔してるって」
「え?柳澤の母親って亡くなったんじゃ?」
「そう聞いていたけど、どうも違ってたみたいなんだ、どうやらマレーシアで生きているらしい」
「マレーシア?」
予想外のことに俺は柳澤の方を向いた。
「うん、どうやら母さんはマレーシアと日本のハーフだったみたいだ。そのせいで、結婚を認めてもらえなかったみたい。母さんは俺を生んですぐマレーシアの父の看病のために国に帰ったらしい」
ふと俺は柳澤の横顔をじっと見つめた。彼にマレーシアの血が混じっていたとは。そう言われて見ればそういうふうに見えなくもないが……言われなければ気づくことはないだろう。
「オヤジは、母さんにいずれ必ず迎えに行くと約束した、その時は結婚しようって」
俺はコーヒーを啜った。
「でも、仕事で忙しくしているうちに、月日が経ってしまって、結局、オヤジは母さんを迎えにいけなかった」
「そうだったのか」
俺が相づちをうつと、柳澤は言った。
「仕事だけ生きがいだったオヤジが、そういう風に言い残すは正直意外だった……それを聞いて、思い立ったんだ、マレーシアに行こうって」
「え?」
柳澤は俺の方を向いてニコリと笑った。
「今までの人生、なんだか僕は人間としては半人前というか、宙ぶらりんというか、自分が自分であることに自身が持てないというか、何かが欠けているような気がしたんだ。だから、母さんの存在を知ったとき、会いたいと思った。知りたくなったんだ。僕という人間が一体どういう人間なのか。母さんに会えば何かわかるかなと思ったんだ」
「そうか……」
それなら何も辞めなくてもいいんじゃないか?とは思った。
だが、今まで人生、柳澤はいろんな犠牲を払ってきた。その柳澤がやっと自分のために生きる目的を見つけたんだ。柳澤の決断に背中を押してやろうと思った。
「頑張れよ」
「うん、ありがとう」
なんだかこのやり取りが妙に照れくさくなり、俺は缶コーヒーを口にした。すでにコーヒーは冷めていた。残りをすべて飲み干してから、俺は柳澤に言った。
「なぁ、柳澤、もし向こうで母親に会うことができたら、連絡くれないか?電話でも、メールでもいいから」
柳澤は俺の言葉に大きく頷いた。
「ああ、必ず連絡するよ」
柳澤はその一ヶ月後マレーシアへ飛び立った。

「あれからもう2年も経ったのか……」
今年も満開を迎えた桜を見上げながら、俺は柳澤のことを思い返していた。
柳澤が去ってから数カ月は、今までの自分の仕事に加えて柳澤の分も俺が回さなければならず、忙しい日々が続いたが、人員が増えたこともあり、なんとか仕事は軌道に乗った。
柳澤からマレーシアへ到着したという連絡を貰ってから、しばらくはやり取りがあったが、ここ半年連絡がない。
……柳澤は無事に母親に会えたのだろうか?
彼に何かあったのか。それとも俺のことなど忘れてしまったのか。
俺は車の鍵を閉めて、施設の門へと向かった。
桜の前の通った際、看板が目に入って足を止めた。
「……」
それまでこれっぽっちも気にならなかった桜のいわれについて、何故か興味を持ったからだ。
看板には、”約束の桜”と書かれている。どうやら、とある武家の兄弟が、戦に向かう際に「再び桜が咲く頃また会おう」と約束した場所らしい。

便りがないのは良い便りというくらいだから、きっと柳澤はどこかで元気にやっているんだろう。
俺は、桜の木を見上げた。
風に吹かれた桜は、遠くにいる待ち人への思いをはせるかのように、枝を微かに揺らしながら、春の風に花びらを散らしたのだった。

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