僕と彼女の奇妙な関係

【お題:『好き』『赤』『変態』】
【時間:ー】

◆◆◆

いつしか僕は人前に出ることが怖くなった。

「カ、カバーはおかけしますか?」
今日も僕は書店のレジに立っていた。時計は21時40分。あと20分で閉店だ。
ああ、早く帰りたい。そう思いながら僕は接客を続けた。
本当なら、人前に出ないバイトがしたかった。だけど、あえてこの接客が必要な書店でバイトをしているかというと、自分を強制するためだ。
僕は、思春期を境に、人前に出ると極度に緊張し、顔が真っ赤になってしまう、いわゆる赤面症になってしまった。長年治療を続けているが一向に改善せず、医者のアドバイスもあり、人前に出る場数を踏んで、克服しようということになった。接客業の中でも、比較的、客との距離が遠い、そこまでコミュニケーションスキルが必要では無い、この書店のバイトを選んだのだった。

突然、スラリとした黒髪の女性がレジ前に姿を現した。
……来た!
僕は思わず心の中で叫んだ。
彼女の手には文庫本が一冊握られている。彼女はレジに立つ店員の顔を端からゆっくりと見る。そして彼女の目線は、僕で止まった。
「……っ」
顔がカーッと熱くなるのを感じて、咄嗟に俯く。コツコツとヒールの音がこちらに近づいてくる。目の前に人の気配がしたと思ったらレジに文庫本が置かれた。
僕はおずおずと視線を上げた。涼やかな切れ長の目をした女性が立っていた。
「い、いらっしゃいませ」
僕は、女性がレジに置いた文庫本を手に取った。
タイトルは『女教師の痴情』。背中をこちらに向けて体育座りした裸の女性が、顔だけこちらを向いて微笑んでいる。
……官能小説だ。
僕は顔が爆発するんじゃないかと思うくらい熱くなるのを感じた。まずい。またいつもヤツが出てしまった。おそらく僕は、今、とんでもなく顔を赤くしているに違いない。どうにかしようと、自分自身に落ち着け、落ち着け、と言い聞かせたが、収まるどころか、より一層顔が熱くなるのを感じた。
ああ、消えたい。
僕は絶望に苛まれながらも、バイトとしての役割を果たそうと、何とかこらえた。
「780円になります、こ、こちら、カバーはおかけしますか?」
僕がそう言うと、
「はい、お願いします」
と鈴が鳴るような綺麗な声がかえってきた。
僕はレジからブックカバーを取り出して、官能小説につけ始めた。

この女性は、毎週金曜日の閉店間際のこの時間になると必ずやってくる常連客だ。
彼女はここで働く書店員の中でも有名である。恐ろしく美人ということもあるが、それ以上に、購入する書籍が、官能小説、BL漫画、SM本など、人前で手に取るのが恥ずかしくなるような本を、堂々と買っていくことで有名だ。
書店員の中では、あの女性は、SM嬢、またはAV女優なんじゃないか、という意見が多数ある。しかし、そういったことに詳しい男性書店員が、インターネットで彼女を徹底的に調べたもの、彼女がヒットすることがなかった。とにかく、噂が絶えない謎の女性だ。

代金を受け取り、本を渡すと、その美女は「ありがとう」と微笑んで、カバーのかかった官能小説を鞄にしまった。
「ありがとうございましたぁー」
僕がそういって礼をすると、再び微笑して、彼女は去っていった。

「……はぁ」
緊張の糸が切れた僕は、ほっと息をはいた。
「あの美女、また、田中くんのレジに来たね」
隣のレジに立っていた女子大生の倉田さんは、真顔でそう言った。
「どうして僕のレジ並ぶんだろ、本当にやめて欲しい」
「普通ならさ、こういうの買うときって恥ずかしいから、同性の店員のレジに並ぶよね」
「そうだよね」
「……やっぱあの美女普通じゃないよね、そっちの業界の人だよ、絶対」
倉田さんがそう言うと、別の客がやって来た。僕たちは再び仕事に戻ったのだった。

バイトが休みの平日。
何もすることがなかった僕は、ひとりカフェに向かった。静かで落ち着いた雰囲気のカフェで僕のお気に入りだ。
いつものようにカフェオレを注文し、会計を終えた僕は、カップを片手に持ちながら、カフェの二階へと向かった。
窓際のテーブル席に腰をおろし、トートバッグから文庫本を取り出した。
程よく甘いカフェオレを飲みながら、読書するのが僕にとっての嗜好の時間だった。
しばらくすると、隣のテーブルに誰かが座ったのがわかった。僕は視線は本に向けたままで、視界の端でその人物をとらえた。どうやら女性のようだ。
その女性は、鞄からノートパソコンを取り出すと、カタカタとキーボードを打ち始めた。
このカフェは、テーブルにコンセントがついていることもあり、ノマドワーカー的な人が仕事をしていることが多い。
僕は再び文庫に集中をした。

集中力が切れた僕は、文庫本から顔を上げて、カフェオレを飲んだ。隣の女性は席についてからずっと手を休めることなくキーボードをうち続けている。とんでもない集中力だ。
なんとなく、彼女が何をそんなに一生懸命書いているのか気になって、悪いと思ったけど、チラリと画面を見た。

”その少年は、男にしては白過ぎる滑らかな肌をしていた。
生まれたままの姿にされた彼は、身体を恥ずかしそうに捩らせ、なんとか局部だけは隠そうとしていたが、女からは丸見えだった。
ロープで拘束され、自由のきかない両手を合わせて、彼は懇願するようにして言った。
「お願いします、もう解放してください」
顔を赤く染め、自分を見上げるその男に、女は興奮を覚えた。じわりと身体の奥が疼くのを感じた。
女はその興奮を悟られないように、赤いルージュの唇をゆっくりと動かして言った。
「だめよ、田中くん」”

「……っえ!」
明らかに、そこに書かれていたのは官能小説だった。
やばい、声に出ちゃった。そう思ったのも束の間、彼女はキーボードをうつ指をとめた。
「あっ」
彼女も声をあげた。
その時初めて僕は、となりの女性の顔を見た。僕は彼女顔を見て驚愕した。
そこにいたのは、書店の常連客の美女だったのだ。
彼女は、綺麗な目をパチパチと瞬きしたあと、僕を見てふっと笑みを浮かべた。
「XXX書店の方ですよね?」
「あ、えっと、その……」
僕はまた顔が熱くなるのを感じた。やばい、やばい、やばい。
咄嗟に彼女から視線をそらすと、パソコン画面に書かれた文章が目に入る。
”だめよ、田中くん”
あれ……?田中?
僕と同じ苗字じゃないか。
「……」
彼女は僕の視線がパソコン画面に向いていることに気づいたようだ。
「……ごめんなさい、白状するわ」
彼女は僕の方に身体を向けて言った。
「わたし、官能小説家なの……それで、実は貴方をモデルにして今の話書いてるの……勝手にモデルにしてごめんなさい」
「えっ!」
SM嬢でもAV女優でもなく、彼女は作家だったのだ。
彼女は、鞄からカバーのかかった一冊の本を取り出すと、そのカバーを外した。
先日、彼女が買っていった本だ。
「これ、私の本」
「え!そ、そうだったんですか」
「自分の本が書店に並んでいるのが嬉しくて……発売したら、自分の本をこっそり買いに行くの」
そう言って彼女は少し顔を赤めた。どうやら彼女は、官能小説を人前で買うことよりも、自分の本を自分で買うことの方に恥じらいを感じているらしい。
……やっぱり少し、世間の常識からは感覚がずれている人のようだ。
作家には変わり者が多いとよく聞くが、彼女ももれなくそういう人種らしい。
「私今までずっと中年男性を主人公にして書いてたんだけど、先月、編集者に、年下の男の子が相手の話を書いてくれって言われちゃってね」
文庫本を鞄に戻しながら彼女は話を続けた。
「今まで若い男の子って書いたことなかったから、モデルになるような可愛い男のが必要だなって思ってたとき、貴方がレジに立っているのを発見して、すごく恥ずかしそうに顔を赤くして接客するところが、書きたいイメージにピッタリだったから、つい名前もそのまま使っちゃったの、ごめんなさいね……名前は別のに変えるから」
「……えっと」
官能小説の登場人物のモデルされたことは驚きだったが、不思議と不快感はなかった。むしろ……。
「あ、ありがとうございます」
「え?」
彼女は驚いた様子で僕の顔を見た。
「なんの取柄もない僕を、小説の登場人物にしてもらえるなんて、う、嬉しいです」
「嫌じゃないの?」
「……はい、嫌じゃないです」
僕が答えると、彼女は顔をポーっと赤らめて嬉しそうに言った。
「やだぁ、本当に、イメージ通りの少年じゃない」
彼女は突然、僕の手を取った。細くてすべすべした女性の肌の感触に僕はドキリとする。
「あの、お願いがあるの」
彼女は上目遣いに僕を見た。
「はい、な、なんでしょう」
「貴方のこと、もっと知りたいの、またこうして会えないかしら?」
美女に懇願されて断る男はいないだろう。
「こ、こんな僕でよければ、よろこんで」

その日から、僕と彼女の奇妙な関係が始まったのだった。

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